解 脱 門


今生、人の上下は虚しく、人の上にも下にも人は存しない。
天は、そしてこの法の下に人の上に己が天を配し、人の下にその身を礎とされた。

然して人は深く心に刻まなければならない。
己が今生は、この限られた隔たりにしか存し得ず、
そして如何なる方便を以ってしても決して天には敵わぬことを。

そして更に銘じなければならない。
けだし、たといその隔たりが千里に値していようとも己が正しい行いにより、
それは解かれ、そして尊い天の慈門が開かれることを。

天は、そして絶え間なく慈悲の御心を捧げ、生きとし生けるものの為、
時に厳しく、時にやさしく、そして須らく微笑みを絶やすことなく、
真に心ある者には至近に身を寄せ情愛を与え、卑しくば身を遠ざけ、
溢れん憂いの涙と共に凍る闇夜をもたらせる。
そうして須らく改心の機会を与え、懺悔と共に闇夜を消し去り、光明をもたらす。

今、天が降臨する時、その御姿は、
たとえ誰よりも貧しくあられたとしても気高く、
誰よりも裕福であっても決して驕ることなく、深い慈悲の心に満ち溢れていよう。

即ち天の降臨とは、示現するその権現は、或いは身近な隣人であるかも知れず、
或いはまた笑顔が素晴らしい凡庸そのもののお方かも知れないし、
更にまた類まれな指導者であるかも知れない。

そして彼らは人々と睦まじく和を囲み、嬉々として笑みを讃え、
仮にどんなに辛い境遇であろうとも挫けず、人々を従え、
どんなに誉れ高くとも、ただただ頭を垂れ、
深く深く人々への感謝の気持ちを決して忘れぬ人々に違いない。

今、人は、そういう分身、即ち権現である彼らの存在を
改めて心に刻まなければならない。
そしてこの世には欲得に拘泥する彼らなぞ決して存せず、
心の貧しい彼らもまた存し得ない。

否、我々人々は彼が天の下にあらゆる煩悩の自由を与えられている。
選択することの自由、行動することの自由、
そしてあらゆる欲望を満たし、生きることの自由を。

が、その結果、人々の心は浅ましく、忽ち弱きを食らい、強気を崇め、
そして弱者は貧困と屈辱に喘ぎ苦しみ、強者は驕慢と飽食に溺れている。
そして荒廃した人々の心は更に止めどない貪欲と無益な争いに明け暮れ、
際限のない苦悩の中に身をやつしている。

今、この世は未曽有の危機と崩壊に晒されている。

しかし人々は何も悔い改めることがない。
尚も貪欲に屠り、欲得に拘泥し、須らくすべてを屠り尽くさんと血走らせている。

然り、この貪欲な横暴は、
やがてこの世に果てしもない破滅と破壊をもたらすであろう。

だが侮ってはならない。
天は、全てを承知されている。

貧困も富裕も、貪欲も清貧も、卑しいも尊いも、
そして優勝も劣敗も、全ては天自らが与え給うた煩悩の仕業に過ぎない。

しかし万大の満ち溢るる広大な叡智が、そして湧き出ずる無辺の恵みが、
もし己が利欲の為に屠り尽くされるならば、
この世には量り知れぬ天罰と煩悶の叫喚が待ち受けていよう。

安寧は既に失われている。
足るを知らぬ人々の横暴が、この世の秩序を破壊し始めている。

刻、一刻と破滅は迫っている。

が、侮ることなかれ。既に天は立ち上がっている。
即ち数多の分身を降臨せしめ、人々の罪咎を贖い清め、
須らく安寧と秩序を回復されようとしている。

だが人々は、そうした寛大な天の意思を解し得ようか。
いいや、解さない。
猛り狂う強欲と煩悩の放逸に明け暮れ、もはや真実さえ遠ざけようとしている。

だが、決して天は諦めない。
使わされた数多の分身は少しもたじろぐことなく使命に燃え、
ただただ誠を以って人々を聡し、そして罪を許し、救済せんと闘っている。
そうした彼らは貧しくとも諂わず心豊かな人々であり、
裕福でも驕らず心清い人々である。
そしてまたどんなに優るるとも謙虚であって、至らずとも心優しい人々である。
彼らは未来永劫の安寧の使命の下に溢れんばかりの微笑みと、
否、溢れんばかりの悔し涙を以って、
ただただ人々の高慢を憂え、横暴に涙し、闘い続けているはずである。

然り、こうした彼らの涙は、決して空無に帰することはない。
やがてその時、来るべき時、そして清浄を取り戻したその暁に、
この世は遍く清澄まされて永劫の安穏に満たされることであろう。

そして人々は身近な隣人であられる、
そういう彼らこそがまさしく尊き天の分身であり、
或いはまたその近い彼らであることを今、改めて悟らなければならない。
そして我々人々は、そういう彼らの啓示を快く受け入れ、
そして心を一にして須らく心を清浄にしなければならない。
そして涙する彼らもまた自身が天の分身、即ち権現であることを今、
改めて心から悟らなければならない。

合 掌
 
櫻 井 蓮 舟





今日は、櫻井蓮舟です。もう係る活動を生業として随分と時が流れました。私も御
歳七十代後半で傘寿の大台に向かっております。然り、その実、そろそろ最終章も
近いと思われますが、この度、歳相応を判断しまして僭越かと思いますが、三十代
後半で既に著わしていた「解脱門」なる文面を公開しながら更新の運びとさせて頂
きました。まずは無事にここまで活動して来られたことを神仏始めクライアント方
々様に心から感謝申し上げる所存です。そして今、係る「解脱門」なる文面を目に
して頂ければ、一体にして私が何者であったのかがありありと理解出来るのではな
いかと思います。内容は独特の霊験が漂い、かつ様々な人としての摂理が示唆され
ておりますが、ではかと言って若い時点でかような代物を公開すれば、その霊験は
良いとしても、相応の人格が伴っていなければ多分に空疎なものとなってしまう訳
ですが、従ってずっと温めてこの時点での公開としたのは妥当ではなかろうかと思
う次第です。勿論、それから以来、それまでもですが、大変な娑婆での修行どころ
か有為転変の精進を以って今に至ったことは言うまでもありません。      

さていきなりですが、「ベーシック霊魂鑑定」になりますが、何ぞやと思うはずで
す。私のオリジナルですが、何のことはない、人様の魂を特定し、認識できる私と
して極自然に到達した領域で、無論、現代物質科学文明では理解不能なはずです。
従って勿論、解説書なぞ著わせるはずがなく、もし著わしたとすれば世間が混乱す
るだけで、そもそもが文明が異なる領域と言っても過言ではなく、従ってそうした
領域を論理的に開き述べる程、私は能天気ではありませんので推して知る由となり
ます。それがそうに、相手様の魂を特定できる何らかの固有情報、例えば顔写真、
着ている衣服の一部とか、髪の毛、その他、生年月日、名前でも良いですが、そう
したものが提供されれば、そのお方の魂を神通力で捉え、その下に徹底した霊的想
像力を働かせて、そのお方に宿っている運命事象、宿命、そして総合的な人格等を
全て示現することが可能となります。また更に、そのお方が現実に私の前に居なく
とも、そのお方の心の内をリアルタイムでです、リアルタイムで探ることが可能で
す。そんな馬鹿なと思うでありましょうが、これは事実です。ですから次元が異な
るのは明らかで、正直、説明は不可能なのであって、俗に何々占いとか言った事象
とは全く意を異にする世界です。究極は言わば人類の変種とも言える私の様な人間
が産み出す、ほぼ一世一代の不世出の能力と捉えて頂ければ差支えなく、従って天
上に召されると同時に全ては神代へ返還されるもので、誰それに伝授も出来ないし
、全く私本人に独善的に宿った極めて特異な能力と解釈して頂ければ妥当なはずで
す。後は如何に世間様が係る能力を現実に活用できるか、ですね。が、しかし世間
現状は、「そんな馬鹿な」と一蹴されるのが大概で、たとえその蓋然性に於いて「
え! 」と目を見張ったとしても、それ以上の有用性は霧中の出来事として葬られる
のが現実なはずです。が、良いではないですか。目敏い方は対峙する相手の心情を
探るために頻繁にリアルタイムで活用しているお方もおりますし、或いはアスペル
ガー症候のお方は結構、人様の心の内を知るためにこの私目を活用している事実も
あります。俗っぽい例では勿論、恋愛感情の相手の心、或いは会社上司、部下の心
、その他、活用は枚挙にいとまがないです。否、こうした事実は占いの領域からは
掛け離れるもので、正に第六感、或いは第七感たる存在に匹敵するものであり、も
し果敢に係る能力をその様に活用出来たとすれば、果たしてそのお方は誰も知り得
ぬ大変な能力を手中に収めることになるはずです。              

さて、既に目敏いお方なら察しているはずです。何のことはない、係る能力は所謂
宗教的解脱による仏果、即ち神通力の体得により具わる能力であることは言うまで
もありません。即ちして神通力には六通り(主たるは五通り)ありますが、天耳通、
真実をくまなく聞く耳、天眼通、真実をくまなく見る眼、他心通、人の心を読み、
宿命通、運命まで捉え、そして神足通と漏尽通はここでは割愛しますが、即ちこれ
らの能力により、如何様にも瞬時に相手の人となり、具わった資質・能力・適性、
そして運命事象までをあっと言う間に示現することが可能となります。更に他心通
は眼前にそのお方が居なくともその心の内を読み解くことが可能です。否、全ては
斯様に摩訶不思議な世界であって、しかもこれは神通力者独自の世界であって殆ど
独善の領域と言っても過言ではなく、従って能力自体、誰それと共有できるもので
は決してなく、たとえ神通力者同士でも対峙する概念すらなく、従って競い合う事
もなく、ましてや見せびらかすなど以っての外で、この辺は神代より厳しく戒めら
れています。従って下世話なことを申せば世間的にワイワイガヤガヤと騒々しい状
態で扱うことは決してならず、また係る能力を以って利欲に走るなぞは天罰ものと
なります。斯様に何処までも粛々と必要に於いてのみ伝家の宝刀を抜くべき縛りが
科せられております。                           

さて、係る能力、神通力を以って私はひとえにソーシャル・ケース・ワーカー、ス
ピリチュアルケア・ワーカー、そしてフォーチューン・アブライザーを執務してお
ります。勿論、福祉活動であり、商売としてはタッチしておりません。蛇足ですが
、再々申します通り、ただならぬ精進と人格の陶冶の末に到達した境地での生業で
あり、元々は私から欲した訳ではなく、何らかの必然が私を導いたものです。従っ
てもし私が普通の人物であったなら通常のお方と何も変わらぬ生き方であったろう
と自分に言い聞かせ、納得もしております。ところで世間、人様、様々な見解なり
意見があるものと思います。即ち私は何処までも一世一代を由として宗教的に解脱
を成した神通力者であり、シャーマンです。よって極めて敬虔な仏教信徒であって
自称律師と言う冠を配しております。しかも正直なところは仏教界のアウトサイダ
ーであって決して何処そこの宗派で修行したとか、そう言うことは一切ありません
。即ち己の使命、宿命の自覚により、全て独学で完成させ、教義をマスターしてお
ります。更に私は何処そこの宗派に属するとか、そう言ったことを忌避します。往
々にそうした中に加わると当初に於いては人様の集団本能が働き、そうして本源的
煩悩が逆巻くにいいだけ逆巻いてしまうはずです。元よりそうして毒を吐き出させ
るのが狙いなはずですが、要は私は私なりの方法に従っただけであって良い悪いで
はなく、ひたすら一途に開眼した己の使命に基づいて修行を為し、行動し、そうし
て結果、得られた自分なりの究極の使命の自覚により、ただただその使命を果たさ
なければと思っている、そのままの姿が私です。要するに私は群れるのが大嫌いで
あって、従って偉くもなりたくはないし、いや偉くなる必要がなく、とことん人々
と同じ目線で雑草のごとく生きているのが私です。或いは、です。一日一日、せい
ぜい美味しい食事にありつけて、そして今は愛する伴侶と共に勿論、縁があった人
々も含めて、どんなに小さな幸せでも感謝感謝の気持ちを懐きながら毎日を暮らし
たいと思っている、正体はそうしたごく当たり前の人間に過ぎないと私は思っても
おります。そして途上、今生の生きている御釈迦様であられる、ダライ・ラマ14世
法王様とも遭わねばならない宿命により、無事、謁見を果たせております。ひとえ
にこの邂逅は御釈迦様のお導きと思って感謝して余りある気持ちです。     

さて、もし現状、過酷な宿命、そして運命に思い悩み、そして日々止むことのない
苦しみに苛まれているお方がおれば、どうぞいつでも私の門を叩いて下さい。そし
てまた逆に順風満帆の帆を翳し、果たして一層の風を浴びて、そうして自身の幸せ
を社会に還元し、存分に幸せを分け与えたいと言うお方がおれば矢張り迷わずにど
うぞ門を叩かれて下さい。然り、一層の確たる運命の扉が開かれて、望みは叶い、
一層の希望に満ち溢れた明るい未来が開けるはずです。            

長いこと御清聴有難う御座いました。是非に価値ある出会いが生じることを御期待
致します。                                
              
                               

  律  師  櫻井蓮舟(さくらいれんしゅう)

    業  務  ソーシャル・ケース・ワーカー   
          スピリチュアルケア・ワーカー  
          フォーチューン・アプライザー  
    
  仏  殿  東京都新宿区四谷・蓮舟自宅内

  相談窓口  蓮舟直通携帯 080-3209-8883

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